怒りについてⅣ

 怒りのさらにもう一つのパターンを挙げます。

 

それは、

 

「自分が愛されていない」「自分が大切にされていない」

 

と感じる時に発する怒りです。

 

 街中でよく、他人とすれ違った際少し肩が当たっただけで激怒している人や、店員さんや係員さんの対応やちょっとしたミスに対して怒りを露わにしている人を見かけます。

 誰かに馬鹿にされたと感じた時、自分の意見が通らなかった時、話をちゃんと聞いてもらえなかった時、失礼な態度をとられた時、自分にとって大切な存在(こと、物、人、ペット、思想、アイドル、趣味、ect.)を軽んじられた時、無視された時・・・

 

 こうした時に湧き出てくる怒りは、自分という存在が大切に扱われていない、つまり愛されていないと感じた時の反応です。

 これまでの人生において、特に”愛されている”、”大切にされている”と感じることが少なかった人は特に、過敏に反応することが多いように思います。

 

 アンジェリックエッセンスに、「Being Completely Loved」というエッセンスがあります。これは、自分の内側を愛で満たしてくれるエネルギーです。

 愛を外へ求めるのではなく、まず自分の中を愛でいっぱいにする。自分で自分を大切にする。自分は本当はとても愛されている存在なのだということに気づく。

 

 自分の中が愛で満たされると、他者の反応は今までのようには気にならなくなっていきます。それは、愛を外側に求める必要性がなくなるのと、心が満たされたために思考にゆとりが生まれ、他者をそれまでとは違った見方でみることができるようになるからです。

 そして、過去の出来事も赦せるようになっていきます。あの時あの人が私に対してあんなにひどいことをしたのは、あの人の心に余裕がなかったからなのだな。あの人も苦しかったのだな。あの時人を傷つけるような言葉を発したのは、あの人自身が何かを恐れていたからなのだな。私を拒絶したのは、あの人自身が自分を受け入れられていなかったからなのだな。

 そういった、他者の痛みも愛の目線でみることができるようになります。

 

 

 トラウマの解消には、かならず「赦し」のプロセスが必要になってきます。そのためには、まずは自分の中の怒りに気づくこと(存在を否定しない)。そして、その怒りが何に反応して湧き起こっているのかを冷静に見つめること。そしてそこに愛を当て、手放す。

 

 恨みや怒りを抱えて生きていくのは、とてもしんどいことです。日常の些細な出来事や、目にすること耳にすることにいちいち怒りで反応するのも、しんどいです。過去にいじめられた経験を持つ人が、「この恨みは一生忘れない」と言っているのを時々耳にします。そんな心の状態が本当の幸せではないことに、本人もどこかでは気づいていると思うのですが、その人の中の何かが抵抗しているのだと思います。

「自分が成功することで、相手を見返してやる」

 と言っていたりもします。しかしたとえその人が定義する”成功”を手に入れたとしたって、心の中に恨みと怒りを抱えて生きていれば、決して真の平穏が訪れることはありません。

 

 長年抱いてきた恨みほど、手放す、つまり”赦す”ことを決意するのに抵抗をおぼえるものです。大概、決意するまでにかなりの葛藤があります。実際の赦しのプロセスというのは、”決意”をした時点で半分以上は終わっているようなものです。なぜなら本気で決意したのであれば、あとは自然の流れでプロセスが進んでいくからです。多くの人は、この決意をするまでに至らないまま、足踏み状態をしています。そして繰り返し、きっかけとなる出来事が起こる度に怒りを放出し、それを他人のせいにすることで、本当の原因は自分の中にあることに気づこうとしません。そもそも自分の中の恨みや怒りを冷静に見ようとさえしないまま、一生を終える人もたくさんいます。

 

「やられたらやり返す」

 

この古いパラダイムから、私たちはそろそろ脱却する時期に来ているのではないでしょうか。このパラダイムを壊し、傷つけ傷つけられるパターンから抜け出す人が増えれば、地球上のあらゆる現象が大きく変わっていくことでしょう。そしてそのためには、私たち一人一人が、強く意思を持ち、変わる決断をし、一個一個アクションを起こしていくしか道はないと思っています。