恨みや怒りを抱いてきた人をもう赦したい。そう決心した際、一番の障害となるのが、自分の心の内に潜んでいる、”相手に自分の苦しみをわからせたい””相手にも同じような苦しみを味わわせたい””相手が不幸であってほしい”といったような、「リベンジ欲求」かと思います。
このエゴの声にいかに打ち勝てるかが、鍵になります。
世の中生きていれば、いわれのない攻撃を受けたり、理不尽な扱いをされたり、侮辱されたり、傷つけられたり、嬉しくない体験を時々するものです。特に、子供時代や若い時などは無力であったがために、そういう経験も多かったかもしれません。
私も人並みに、世の不条理は目の当たりにしてきたと思います。かつては自分の中に、いくつもの「ゆるせないこと」「ゆるせない人」がありました。
けれどある時、もうこんなばかばかしいことはもうやめよう、と心底思うようになりました。なぜかというと、誰かを恨んだり憎んだりしていても、何のメリットもないことに気づいたからです。メリットがないことくらい考えたらわかるはずなのに、人間は不思議なことに、自由で平安でいられる道よりも、苦しみを抱き続ける道を選ぶものなのです。
こう決心してから、なかなか切り離すのが難しかったのが、やはりこの「リベンジ欲求」でした。私の場合、自分を傷つけた相手を同じように苦しませたい、というよりは、相手に自分の味わった苦しみを知らしめたい、どれほど傷ついたのかを教えたい、という欲求が大きかったです。
様々な葛藤もありましたし、やはり無理なのかと何度もあきらめそうにもなりましたが、結果的に、自分が赦そうと思った相手は全て赦せるようになりました。今では誰も恨んだり憎んだりしていません。自分を傷つけた相手に対しても、心の中では、その人の真の幸福を望んでいます。罪を憎んで人を憎まず、です。きれいごとではなく、本当にそう思っています。他人を攻撃したり、傷つけたりする人は、そもそもその人の心がどこか満たされていないからそういう行動をとっているのです。人は心が満たされていれば、決して他人を傷つけるようなことはしません。自分が傷ついているから、他人を傷つけるのです。そのことを思えば、相手に負の感情を抱き続けるより、相手の心の傷が癒されることを祈っていた方が、あらゆる面でプラスになるはずと思えます。
傷つけられた人が、自分を傷つけた人の内にある苦しみではなく、「自分が」傷つけられたことに固執し、恨みを抱き続ける。そんなことがずっと繰り返されていけば、憎しみのループを断ち切ることなんか永遠にできません。憎しみを抱くことは苦しみでしかなく、その道を選べば魂の成長はそこで停滞し続けること、そして、自分を傷つけた相手を裁く資格は本来自分にはないということ、この事実を謙虚に受け入れられれば、手放して自由になる道を選ぶことがたやすくなります。
もちろん、一方的に理不尽なことをされたりして、実害を被った際には、必要な主張はしていいと思います。攻撃から守るために、防御することだって大事です。ただし、それは理性を伴って行うべきで、決してリベンジ欲求に基づいて動かないことです。エゴに基づいた行動は、必ず裏目に出ますし、自分の身のためにもなりません。自分にゆるされた、なすべき行動の範疇を超えたことをすれば、余計なカルマを創り出すことになります。
リベンジ欲求に打ち勝つために、助けとなってくれそうなエッセンスを挙げておきます↓
〈パワーオブフラワー〉
『パッションフラワー』
『セージブラッシュ』
『ブラックコホッシュ』
〈オーストラリアンブッシュ〉
『ピンクムラムラ』
『ピンクフランネルフラワー』
『サザンクロス』
『サンシャインワトル』
〈アンジェリック〉
『Unconditional Forgiveness(アンコンディショナルフォーギブネス)』
『Release(リリース)』
『Releasing Resentment(リリーシングリゼントメント)』
『Clearing Repeating Memories(クリアリングリピーティングメモリーズ)』