人の心の状態と、その人の健康状態には密接なつながりがあること。このことは、おそらく世の中の多くの人が知っていると思います。
更に、人の心の状態が、その人の現実を創るということ。このことにも、最近は多くの人が気づき始めています。
その人の心の状態が、その人の身に起こる出来事を創り出しているのではないかということには、物心ついた時からなんとなく感じてはいたものの、確信が持てないまま、ずっと過ごしていたように思います。確信が持てずにいたことで、私自身、様々な経験を経ていくうちに、たくさん心の重荷をしょい込み、怒りや不安、罪悪感、自己嫌悪感といったネガティブな感情をコントロールできないまま(というより、しようとしなかったというのが正しいかもしれません。感情は自分でコントロールできるのだということを、長い間信じていませんでしたし、努力を怠っていました)、そうした感情にのまれ、それに見合ったネガティヴな事象を引き寄せ続けていました。
同じ世界をみていても、その人の心の状態によって、全く異なる見方をするものなのだなということをハッキリ認識したのは、高校生の時でした。
まだ高校生活が始まって間もない頃、もう既に学校に来ることが難しくなり、時々来ては一時間も授業を受けないうちに教室を出てしまい、次の日からまたしばらく休む、ということを繰り返しているクラスメートがいました。その子は、学校に来ても特に誰と話すわけでもなく、ただ不安げな顔で周囲から隠れるようにして席に座っているのでした。地方の女子高で、クラスメートは今考えても心優しい、良い子達ばかりでした。その子に対してきつく当たったり、意地悪をしたりする子など一人もいませんでしたし、皆心の中で「この子は一体どうしたのだろう」と不思議には思っていたかもしれませんが、口に出すこともせず、ただそっと見守っていたように思います。
その子は常に何かの恐怖に怯えていました。恐れや不安に圧倒され、自信もエネルギーも枯渇してしまっているように見えました。実際は、周囲の誰も攻撃などしないし(少なくとも学校では)、先生も級友達もその子には特に優しく接していたはずなのに。
これはもしかして、この子が自身の内側で創り出している恐れなのではないだろうか。この子の心は、自分が創り出した大きな大きな恐れに支配されており、もはや自分でも制御できず、見えているあらゆる人や物事が恐れを通してしか見えなくなっているのではないだろうか。そんな風に感じました。その時はどうしてそのようになっているのか、よくわからなかったのですが、大人になってから思い返すと、彼女はそこに至るまでに、様々なトラウマを抱え込むような経験をしてきたのだろうと察せられます。元々の性格もあるでしょう。
当時の私にはそうした背景はうっすらと予測することしかできませんでしたが、どのような事情があったにせよ、その子を見ていて思ったのは、恐れそのものを生み出しているのは、その人自身なのではないかということでした。家族でも友達でも先生でもなく、その子自身が、自分で、恐れを創り出し、自分が創った恐れによって圧倒され、支配され、制御できなくなっているということ。その時の私には、そのように感じられたのでした。
心は自分が創り出すもの。そのことを、ハッキリと認識したのでした。
更に、そうした心の状態が現実をも創り出しているということに確信を持つようになったのは、もっとずっと先のことです。