宗教やスピリチュアルを謳う本は巷に溢れていますが、ざっと見ただけでも、その多くが、いかに「手に入れる」かということにフォーカスしているなと感じます。家、お金、財産、仕事、名声、良い人間関係、等々。
何かを得たからといって人は満足するのかというと、実際は、手に入れた瞬間に「もっと」という欲求が生じます。なので、物質的なものや、数字で計れるような何かを得ることをゴールにしているうちは、本当の意味で満たされることはありません。そもそも、手に入れたものや力の大きさで幸せが計れるなら、巨万の富を築いた人や、大きな権力を握った人ほど幸せということになりますが、そうではないことは誰がみても明らかです。
イエス様もお釈迦様も、何かを手に入れることではなく、「捨てる」こと、「手放す」ことを繰り返し繰り返し教え諭しています。物理的な所有物を捨てるということではなく、自分の心の中のお荷物を捨てること。今の苦しみを生み出している元となる要素を突き止め、それを手放すこと。何かにしがみついているうちは、苦しみから逃れられないということを、様々な事例を挙げて説明しています。
スピリチュアルな世界にいる人たちが全て真理を悟っているわけではないので、情報を取り入れる際は、どの段階にいる人がそれを書いている(または語っている)のかということには、いつも注意を払います。
基本的に、最初に書いたように、何かを「手に入れる」ことを目標にしている人や、語っている内容の多くが他者への批判に終始している人は、その人自身がまだまだ捨てることがある段階なのだろうなと思います。真に目覚めた人ほど、何かを得ることに執着がなくなるものですし、この世に善も悪も正しいも間違いもないという悟りに達しているので、他人を批判することにエネルギーを注いだりしません。
もちろん、この世で生活していく以上は、物質的な所有なくしては生きてはいけませんから、それ自体を否定するつもりはありません。けれど、所有自体をゴールにして生きていくと、かえって満たされないということに気づいたので、もう何かを得ることを最終目的にしようとは思わなくなりました。
何かを捨てることは、決断するまでが大変で、必ず抵抗が生じます。けれど、いざ捨ててみると、その分縛りから解放されるので、自分の領域が広がった感覚が得られます。自由で、軽い感じになっていきます。まだまだ捨てきれていないものがたくさんありますが、根気強く、やっていこうと思います。