アンジェリックエッセンスの”Acceptance”。解説には、次のようにあります。
『受容。人生をありのままに受け入れる。他者や状況を変えたくなる衝動を解放します。ありのままを十分に受け入れ何も間違ったものなどないのだと気づかせてくれます。何かが間違っていて変える必要があるのだという思い込みを解放します。内なる自由をもたらします。』
この、「受け入れる」というテーマほど、私達が葛藤し、苦悩し、困難に感じるものはないのではないかと思います。受け入れられたら楽なのだろうけれど、それができないから悩むわけだし、苦しいわけです。
特に自分と関係が近かったり、思いを強く抱く相手ほど、自分の理想の姿でいてほしいと望んでしまうものだし、期待と異なる言動をされた時に、動揺したり時には怒りさえ覚えてしまいます。関係が近ければ近いほど、思いが強ければ強いほど、期待も大きくなるし、それと同時に動揺や失望も大きくなります。つまりそれだけ執着が強いから期待というエゴも強くなるわけです。とはいえ、家族のような間柄だったら、執着を完全になくすことは難しいので、期待しないでいるなんてそもそも無理なのかもしれません。
家族や特別な間柄には、その関係性の中に何かテーマがあるものです。お互いが共鳴し、影響し合いながら、学び、気づき、成長していく契約のようなものが事前に定められているようです。そういう関係性であれば、自分が相手に対して負う責任や、なすべき仕事があったりします。大抵、本当に必要な言葉や行為というのは、自然な形で生じるものだし、相手にもストレートに響くものです。なすべき仕事は、自然な形でなされることがほとんどです。
その一方で、自分が本当に負うべきではない仕事、自分が本来求められていない役割というのは、相手にも受け入れられません。あれこれお世話を焼いたり、アドバイスをしてあげたり、手を貸してあげたくなったとしても、本来自分がやるべき仕事でなければ、それは相手にとって必要なことではないので、拒絶されたり抵抗されたりします。
私達に"Acceptance"が必要なのは、そんな時です。自分がその”仕事”をする立場ではないこと、相手が自分にそれを求めてはいないこと、少なくとも今は、そのタイミングではないこと。そうしたことを受け入れ、身を引く。難しいことですが、自然な形で進まないことは、そこに何か摩擦が生じているのです。
相手の選択を受け入れ、リスペクトする。私だったらこうするのに、というエゴの観点を手放す。葛藤があるかもしれませんが、相手の選択をリスペクトできるようになると、”何も間違ったことなどない”という事実が、染み渡るように理解できるようになります。
自分がなすべきことと、そうではないこと。その違いを賢く見極めることが、受け入れることへの鍵となるように思います。