前回のブログでは、サイコパスについて紹介しました。サイコパスに一見似ているタイプとして、「ナルシスト」があります。サイコパスと共通しているところは、
●自己中心的で、自尊心が強い
●自分の欲求を満たすことに労力を惜しまない
あたりかと思われます。サイコパスと違うのは、ナルシストタイプは感情が人並みにあり、良心も持ち合わせていることです。後悔や葛藤を感じ、内面的には実は苦しんでいる所がサイコパスと大きく異なります。また、サイコパスが自分の目的を達成するために手段を選ばないのに対し、ナルシストはある程度常識の範囲内で行動します。自分がかわいいので、批判されたり世間からブロックされることは根本的に恐れています。ただし、自分がかわいい余り周囲が見えなくなっていることもあるので、普通の感覚では考えられないような、突拍子もない言動をとることも時々見受けられるかもしれません。これは、人を傷つけるのが平気なわけではなくて(サイコパスはここが平気)、気づいていないか、見えていないだけです。
ナルシストタイプの人は、人生のどこかの時期において、自尊心を傷つけられたり、自信を失うような経験をしています。と同時に、心の中で「自分は本当はこんな扱いを受ける人間じゃない。自分の人生はこんなことで終わるはずがない」という思いを抱いています。傷ついたプライドと、肥大化したプライドが共存している状態です。そして、再び人生のどこかの段階で、自分のプライドを奪回させられるようなチャンスに出会った時、それまで眠っていた、”自分をもっと認めてほしい”欲求が爆発するのです。
ナルシストが持つ自信には、傍から見ると根拠がないものがほとんどです。一体なぜこの人は、こんなに自分に自信をもっているのか、一体何がすごいのか、他人からしてみれば「さほど大したことない」程度のことであっても、ナルシストはその空虚な自信を生きるよすがにしています。また、容姿はそこそこだったり、良くても人並みより少し上くらいであることが多いのですが、ナルシストは、自分は容姿が大きな武器で、この上なく魅力的であるという幻想に浸っています。
その他の能力も、ずば抜けて優れていることは稀で、大概メインストリームで活躍していることはありません。ナルシストは基本的に謙虚さが足りないので、さほど努力をせず、自分を客観的に分析する能力もないので、実力も名声もある程度のレベルまでしかいかないものです。
華やかな世界や、人の上に立つポジションに憧れるので、講師業やインストラクター、タレント(二流以下の)、ヒーラーもどき、飲食業、などによく見受けられます。またヒモやヒモ的な生活を送っている人にも、このタイプが多いようです。いつまでも非現実的な夢を追い続け、自力で生活ができていないのに、「自分はこんなもんじゃない」と言い続けたり、実現不可能な将来設計をとうとうと語るような人です。
ナルシストは、冷静な目で見れば、自分が見えていない、エゴが肥大化した虚しい人物なのですが、どういうわけかその空虚な自信に惹かれ、吸い寄せられるように近づいてしまう人がいるのも事実です。かくいう私も、過去何回か、ナルシストタイプの”先生”にエネルギーを吸い取られた経験があります。
ナルシストに引っかかってしまうタイプにも、特徴があるように思います。
●優しい
●エネルギーに敏感(憑依体質)
●人が言うことをすぐに信じてしまう
●自分や自分の考えに自信がない
●人に尽くすことで充足感、あるいは安心感を得られる
●向上心はあるのだけれど、1人で切り開いていく勇気がない
●誰か強い人についていけば、自分の人生が好転するだろうと期待している
●判断を他人に委ねがち。または、他人に決めてもらわないと行動できない
このようなところでしょうか。ナルシストは、自信がなく、共依存体質で、誰かに自分を認めてもらいたがっている人を見つけると、甘い言葉や時には強い言葉を使って、巧みに自分サイドに引き込もうとします。一方で、どういうタイプなら騙せるかということに関しては勘が鋭く働くので、騙せないタイプと知ると、サッと手を引きます。
ナルシストが苦手なタイプは、自信があり、現実的で、自分の考えをしっかり持っている、軸が定まった人です。そういう人には、自分の弱さや足りない部分を見破られることを知っており、どこかで恐れているのでしょう。
ですから、ナルシストにうっかりハマらないためには、自分がそのような人物になれば良いわけです。
私が過去に、ナルシストから自分を解放できたのも、自分の「軸」がだいぶ固まってきた頃でした。そして、ナルシスト先生の矛盾に気づき始め、次第に違和感を覚えるようになっていったのです。ナルシストは、常に自分が一番でいたいので、弟子が自分より秀でたり、自分よりちやほやされるような状況は決して認めたがりません。指導を受けながら、そこはずっと牽制されているのを感じていました。要所要所で、聞いてもいない過去の自慢話をふってきたり、「あなたは私の下」というニュアンスの言葉を使ってきました。そして、私が先生の矛盾しているセリフを指摘した際、それまで見たこともない程動揺し、赤面して早口で言い訳をまくしたてました。それは支離滅裂で、論点も定まらない、まるで子供のような言い訳でした。ナルシストがボロを見せる時というのは、人物が違っても、おかしいくらい似ていました。
私はこういうレッスンを何度か経験して、ようやく自分の弱さと、真の意味で自信を持つということの大切さを学びました。それから、人を見る目も養われました。今では、なぜか自信たっぷりな人を見かけても動揺することはありません。本当に自信がある人は、決してそれを表に出そうとしないことを知っているからです。そして、魂が磨かれていけばいくほど、人は謙虚になります。自分をよく見せようとしていたり、プライドや威圧感が前面に出ているということは、その人がまだ未熟で、心が満たされていないという証拠です。
私は決して、ナルシストを責めるつもりはありません。その人なりの苦しみや悲しみがあることも知りました。彼らも、何かを学んでいる最中なのでしょう。ただ、私はもう、そういう人とは距離を置き、できるだけ関わらないようにしています。
過去にそういった人と関わった自分を責めた時期もありまし、仕返しをしたいくらいの怒りを抱いていたこともありましたが、今ではどの経験も大切なレッスンだったと思えるようになりました。あの経験がなかったら、またどこかで同じような人といびつな関係性で繋がってしまっていたかもしれません。人を頼り過ぎず、内なる声を信頼しさえすれば、何も怖くないのだということも、紆余曲折を経てきたからこそ、たどり着いた答えです。
もし、そういう人と出会ったことがあったり、今現在関わっている方がいたら、私が経験から学んだことが少しでも気づきの助けとなれば幸いです。