親の器

 子供がまだ幼い頃、中学生や高校生くらいの大きなお子さんを持つお母さん達を見ると、

 

「あんなに大きくなったら、さぞかし手がかからなくて楽なんだろうなあ」

 

 と思っていました。そして実際、「お子さんが大きいと、手がかからくなって楽になりますか」と質問したりしていました。すると、大体似たような返事が返ってきたものです。

 

「物理的な世話は減るけど、精神的な負担が増える」

 

・・・自分の子供が思春期に入った今、その時のお母さん達の気持ちがとてもよくわかります。確かに、自分のことは大体自分でできるようになったので、母親としての物理的なお世話といえば、ご飯を作ることと洗濯をすることくらいで、小さかった頃に比べればものすごく負担は減っています。けれど、子供はもう、幼い頃のような能天気な世界にはいません。成長と共に、周囲のお友達や先生との関係、学校生活の中で出てくる問題、自分の将来に関する悩みなど、何かと心が揺さぶられる経験が増えてきます。そして、その都度こちらも心配し、気にかけ、親として何ができるかを考え、そして実行して(反発も受ける)・・と、小さい頃にはなかった心理的負担が生じるのです。

 人生で最も不安定な時期を過ごしている子供を受け止めるために、親としてドーンと構えていなければならないのだけれど、かといってこちらも親としては初めての経験なので、常に「これでいいのだろうか」「もしかしたら自分はものすごい間違いを犯しているのではないだろうか」といった疑問も拭えない状態です。

 

 それに、自分が子供だった頃と比べて、世の中も人の意識も、だいぶ変わっています。だから、かつて自分がこうだったからとか、普通はこういうものだからといった因習や常識も、今の時代や今の子供達には、あまり当てはまらないと感じています。子供自身が、そういう古い考えや決まりきったやり方の押しつけを嫌いますし、無理矢理大人のいうことをきかせようとしても、反発したりおかしくなったりして、うまく回らないことが多いです。

 

 最近、スポーツの世界でも、子供自身がとても生き生きと動いており、そして従来考えられなかったような素晴らしい成績を収めているチームを見ていると、束ねている監督さんが、子供の自主性を大事にして、あまり自分の考えを押し付けないようにされているのがわかります。そういう監督さんは、子供がどのような環境で潜在能力が開花するかをちゃんと理解されていて、その能力をつぶすことなく、いかに伸び伸びと実力を発揮できるかということに気を配っているようにみえます。子供自身が、それぞれ自分の考えを持ち、どのようにしていくのが良いかを本当は「知っている」のだと気づいているのだと思います。だから、大人が必要以上に口出しをしたり、子供の考えを押しつぶすような雰囲気を作らないように気を付けているのでしょう。

 

 ただし、いくら自分の意思をもつ子供であっても、ほったらかしにされたり、何をやっても許されるような環境に放り込まれたら、やる気も湧かないでしょうし、無秩序の中で混乱が起こります。ある程度の規律と、愛に基づいた叱咤激励は、子供が奮起したり頑張ろうという気持ちになるためには、必要不可欠なのかなと思います。根底では子供の能力を信頼して、大人が出過ぎることなく、伸び伸びとできる環境を作ってやりつつ、同時に適度な規律と緊張も持たせる。そういう匙加減が上手にできるような大人にならなければいけないと思っていますし、できればそういう大人が増えてほしいなとも思います。

 今はまだ、子供達を指導する立場にいる大人の中にも、昔ながらの一方的な教え方で、子供を威圧して恐怖心で抑え込もうとするようなタイプの方がたくさんいます。そういう関わり方をしている大人は、まず本当の意味で子供の心を掴むことができていないので、ある程度の所までは成績を伸ばすことができるかもしれませんが、限界があると思います。子供は委縮してしまうと、本来の力を最大限に発揮することができません。

 

 自分の子供が関わっている先生にこういうタイプがいると、自ら子供の才能をつぶしてしまっていることに気づかないのだろうかと、不思議に思い、教えてあげたくなってしまいます。けれど、親としてできることにも限界があります。相手を変えることはできないし、状況を全て変えることもできません。できる範囲で、できることをするしかないのです。

 子供がある程度大きくなってくると、そういう意味でも、親が口出し・手出しできる範囲がグンと小さくなってきます。自分の考えより、本人の選択と学びを尊重しなければいけない場面も増えてきます。人間として、精神的に鍛えられている時期なのだろうなと思います。