何年か前に見た映画で、とても印象に残っているものがあります。テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」。
アメリカを舞台にした、ある一家の物語なのですが、全体を通して映像がとても美しく、人生と宇宙との繋がりが絵巻物のように壮大に描かれ、深く心に染み入ってきます。
私は、主人公のとてもナイーブな少年は、テレンス・マリック監督自身なのではないかなと見ていて感じました。愛情豊かで穏やかな母親に対して、ブラッド・ピット演じる父親は、厳格かつ頑固。自分で作り上げた”強い”父親像を必死に演じているのですが、その息苦しさを主人公の少年は勘づいています(そして自分も苦しむ)。自分を大きく見せるための父の様々な言動が、実は内面に潜むコンプレックスの裏返しであることにも気づいているのですが、そこは実の息子にとって受け入れがたい複雑な現実でもあります。父親を受け入れたい気持ちと、拒絶する気持ちとの間で揺れ、葛藤を抱えたまま少年は大人になっていきます。
家族が精神的に父親に支配されている閉塞感が伝わってくる映画で、見ていて正直苦しくなる部分もありました。誰でも、”父親”との問題は心のどこかに抱えているものなのではないでしょうか。
中でも印象に残っているシーンがあります。それは、成人して立派な職業に就いている主人公が、電話で父親と話しているシーンです。ショーン・ペン演じる主人公は、もう50代くらいにはなっていると思われるのですが、電話で話す様子が、まるで少年なのです。
「うん、わかった父さん」
「父さんの言うとおりにするよ」
といった(少々うろ覚えですみません)感じのセリフだったと思うのですが、その瞬間だけ、主人公の中年男性が、すっかり少年に戻っていました。
こういうことは、映画の中だけでなく、実際にも起こっていることです。精神的に支配的な親の元で育った人が、大人になってもその支配から脱却できずにいる場合、親と対面した際、瞬間的に少年・少女の心理状態に戻ってしまうのです。ほとんどは無意識かもしれません。親自身も、自分が我が子を支配したつもりもないし、ましてや大人となった今でもその支配力が続いているなどという認識はないかもしれません。
これは、親が変われば自分も変われるということではなく、完全に自分の問題です。自分が、かつて自分自身で作り上げた殻から自ら抜け出さなければ、本当の意味で自由にはなれません。
もし、親と向き合っている時、自分が子供に戻っているなと感じているようだったら、自分の中でまだ親の呪縛を強く引きずっているのかもしれません。それは本来息詰まる状況なのですが、不思議なことに、「変わる」ということに対する恐怖心が強いと、そのままでいることに安堵感を覚えるものです。変わるよりは、今のままでいた方が、何となく安心してしまうのです。変化を起こすには、莫大なエネルギーがいるものです。
ちなみにこの映画の父親役は、本来ブラッド・ピッドではなく他の役者さんが演じる予定だったのだそうです。私も、ブラッド・ピッドと言えば若かりし頃の王子様的なイメージが強かったのですが、この映画の、自ら作り上げた虚像ゆえに自ら苦悩する父親の姿は、本当に見ていて子憎たらしいほどリアルでした。この父親のいびつな行動の背景には、「息子たちに、自分のようになってほしくない」という本心が実はあって、愛情がないわけではなく、愛情が歪んだ形で表に出てきてしまっているだけなのです。自分の思いを、ストレートに出せない事情が、この父親なりにあるのです。そういった1人の男性としての不器用な生き方と、時折見せる弱さ、葛藤なども、ブラッド・ピッドは繊細に演じていました。
おかげで、「愛情をストレートに出せない父親」に対する理解が、私の中でかなり進みました。