断捨離と心の問題

 最近、家の中の大がかりな断捨離を決行しました。ずっと気にかかっていたにもかかわらず、時間がないとか何とか自分の中で言い訳をつくって、先延ばしにしていたことです。片づけはそんなに苦手というわけではないですし、家が汚いということでもないのですが、普段使わない奥の部屋は物置のようになっていましたし、クローゼットや押し入れの中に、数年間手つかずのものがいろいろと入っているのが気になっていました。

 

 数か月前くらいから、「一日一個、何かを捨てる」という行動を自分に課し、それを実行してきました。一気に片づけることが難しいとしても、一日一個、必要のないものを捨てるくらいなら、気軽にできると思ったのです。一日一個とはいえ、それを毎日続けていれば、一年間で365個もの不要なものを処分することができます。

 そう思って、毎日コツコツと物を捨て続けていました。少しずつ、引き出しや戸棚のスペースが空いていくようになっていきました。やっていくうちに、必要のないものを捨てると、その分だけ心がスッキリすることに気づきました。そのうち、一日一個といわず、一日数個から時には数十個くらいのものを捨てる日が出てきました。

 

 そんなある日、テレビの番組表を見ていたら、断捨離を決行した家族のことを追ったドキュメンタリー番組が目に留まりました。なんとなく今の自分にぴったりのような気がして、録画して見てみました。

 断捨離エキスパートの力を借りながら、思い切って断捨離を決行した何組かの家族の姿を、1人1人の心のひだまで丁寧に映し出す、とても良い番組でした。それを見て、断捨離とは、ただ物を捨てるという物理的な作業ではなく、その人の心の中で、何かとけりをつける作業でもあるのだなと思いました。幼い頃の子供との思い出が詰まった本、おばあちゃんから譲り受けた嫁入り布団、家の中で自分の存在を主張する代わりに買い続けた小物たち・・他人から見れば大した価値がないような物でも、そして実際使うことはなくても、その人の心の中では、とても大きな意味を持つ品々。

 それらを捨てるという行為は、自分の中で、それらの物を介して視覚化してきた、自分の中の”思い”と決別するということです。捨てられずにいる物たちは、自分の中でまだ手放すことができずにいる、思い入れや古い観念を表しているのです。

 

 断捨離を決行しようという気持ちはあっても、いざ作業を始めると、どの方もある時点で必ず何らかの葛藤に苦しみ、迷い悩む姿が映し出されていました。今まで、物を捨てて家をスッキリさせねばと思っていてもできなかったということは、心の中でそれを決断する勇気が持てなかったということです。その決断を実行する前に、必ず葛藤の時期がどの方にも訪れるのでした。

 そこは断捨離のエキスパートの先生、慣れたものです。1人1人の心と向き合いながら、時にはズバリと厳しく現実の状況を指摘し、順を追って断捨離の作業を促していきます。一度その人の中で何かが外れ、心が定まると、断捨離は一気に進みます。この辺りは、私が日ごろから感じている、心のお荷物の外れ方と同じだなと思いました。

 

 とにかく、一度にやろうとしないこと。少しずつ、「今日はここだけ」といったように場所を決め、着々とやっていく。空間を上手く使う。戸棚やクローゼットといった、物をしまう場所は7割だけ使う。服や食器は、「着られるか着られないか」「使うか使わないか」ではなく、「着たいか着たくないか」「使いたいか使いたくないか」で取捨選択する。いろいろなポイントも教わりました。

 その中で、私の心にスコーンとヒットしたのが、「捨てるのではなくて、リサイクルではだめなのですか」と質問した人に対しての先生の答えでした。断捨離の先生は、

 

「もちろん、リサイクルも良いと思います。ただ、今は、リサイクルよりも、とにかく必要のないものを捨てて、心のゆとりをつくることの方が大事です。そういう状態になってから、リサイクルをすればいいんです」

 

 この言葉で私も目が覚めました。私はこれまで、”必要のないものはできるだけリサイクルに出すべき”という観念に縛られていたのでした。そのため、家の中のものを断捨離するとしても、リサイクルに出せるものをきちんと分別しなければいけない、1つ1つ分別するには手間も時間もかかる、そのため取り掛かるのに二の足を踏んでしまう・・といった構図になっていたのです。

 リサイクルに縛られなくても良いのであれば、次々にゴミ袋に放り込んでいけばいいだけですから、作業がスイスイ進みます。番組に出ていた断捨離家族の決心にも後押しされて、私は家の断捨離を思い切って進めようという気持ちになっていきました。

 

 まずは、一番気になっていた食器棚から始めました。この中には、結婚する時に母から譲り受けた数々の食器たちが眠っています。文字通り、使われることもなく眠っている食器がたくさんあったのです。私は、せっかく母からもらったものだから、捨ててはいけない、申し訳ない、という思いがどこかにあったのでした。

 けれど、母がくれた食器の多くは、母自身も使わないから私にくれたものです。誰かからの頂き物だったり、何かの景品でもらったものだったり、古くてもう使わないものだったり。母にとってあまり魅力がないものは、私の心にもやはり響かないのです。結果、使うこともなく棚の中で眠り続けてきたのでした。

 それらの食器と思い切って決別することにしました。リサイクルのことは取りあえず置いといて、次々といらない食器をゴミの袋に入れていきました。一度心が決まったら、作業は驚くほどスムーズに進行しました。

 大量に出たゴミの袋を、一度近くのクリーンセンターに運ぶことにしました。夫に車を運転してもらって運んだゴミの量(第一陣)は約120キログラム。燃えないゴミの集積場に、食器の袋を投げ込んだ時に聞こえてきた、「ガッシャーーーン」という食器類の割れる豪快な音を聞いた時、私の中で完全に何かが吹っ切れたのでした。

 

 その日から、今日は二階のクローゼット、今日は和室の押し入れ、今日は本棚、といった感じで、着々と断捨離を進めていきました。何かに後押しされているかのように、エネルギーが湧いてきました。一心不乱に物を捨て続ける妻の姿を見て、それまで受け身の姿勢だった夫も、いそいそと自分の不用品を捨て始めました。娘も何か影響を受けたのか、自分の部屋の片づけをしていました。

  物置のようになっていた和室は、お茶でも淹れたくなるようなスペースに変身しました。食器棚が片付いたことでキッチン全体の掃除もしたくなってきました。台所が綺麗になると、料理をするのがより楽しくなってきました。もう読まない本を処分したことで、かえって読書に対するモチベーションが今まで以上にアップしました。衣装棚を整理したことで、ファッションをより楽しめるようになりました。

 

 そして何より、私自身の心が整うようになりました。今までどこかで引っかかっていたものが取れたおかげで、気持ちがスッキリし、思考までがクリアーになって、日常生活の1つ1つを、丁寧に行えるようになったのです。

  ”捨てられない”は心の問題、と言いますが、身をもってそのことを実感した断捨離体験でした。