Life goes on

 新しい生き方、自分らしい生き方をしようと決心すると、それまでため込んできた様々な思いや感情、過去に受けた心の傷、トラウマ、そういったものが一時的に噴き出してくることがあります。殻を破って次のステージに進むために、お荷物となる古い縛りから解放される必要があるからです。過去に引っぱられ、過去に執着し続けていると、自由で縛られない生き方をすることは困難です。

 癒しと浄化の時期を経て(人生には休息も必要です)、それまで纏っていた重い鎖から解放されたら、あとは後ろを振り向かず、ただ前進するのみです。

 

 この時に注意しなければいけないことは、常に現実的な視点をキープするということです。スピリチュアルな世界、精神世界に目覚めた人で、そちらの世界に意識が向き過ぎるあまり、現実生活との折り合いがつけられなくなっている方々がいます。そういう方たちは、文字通り宙に浮いているかのように不安定で、物理次元で起こっている出来事を受け入れられず、自分で作り上げた妄想の世界に生きているように見えます。似たような仲間同士でグループを作り、現実逃避ともいえるような儀式やらセミナーやらグッズに次々手を出しては、そういった自己決定能力が欠けている人をターゲットにしている商売人や偽教師たちの恰好の餌食になっていたりします。確固たる軸が定まっていないがために、自分の代わりに人生を決めてくれる存在を追い求め、利用され、中途半端な目覚めの状態に酔いしれているのです。アイドルに現(うつつ)を抜かしている(なんという的を得た表現でしょうか)十代の若者と同じです。

 

 魂の成長の旅路は、空想世界を追い求めているうちは一歩も進めないままだと思います。意識が覚醒したからといって、毎日フワフワと夢見心地で何もせずにいられるわけではありません。もしそうだったら、一体何のためにこの世に生まれてきたのかがわかりません。

 むしろ、魂を磨いて意識を向上させた人ほど、謙虚になり、この世の現実に向き合い、無償の愛で他者に尽くしているようにみえます。きっと、自然とそうなっていくのだろうと思います。イエス様やお釈迦様、その他過去の聖人たちの生き方をみてみれば、ああいう人々がいかに地に足の着いた生き方をしていたかがわかります。イエス様もお釈迦様も、人生の後半はほとんど全て、他者を助けることに身体と時間を使ってました。神様に身を委ねながらも、現実的な仕事をしていたのです。

 

 思うに、本当に誰かの役に立ちたいと思うのだったら、妄想世界で遊んでいる暇はないのではないでしょうか。実際に手を動かさずして、一体誰を助けられるのでしょうか。魂の成長は永遠に続きます。この世に身を置いている限り、別の世界では生きられないこと、私たちは今ここで、具体的にやるべきことがあるから存在していることを受け入れて、現実を生きましょう。