フラワーエッセンスの勉強をし始めた頃、私は講習会やワークショップのような集まりにちょくちょく通っていました(今でも必要に応じて講座を受けたりしています)。
引き寄せやスピリチュアル系の”マスター”を名乗る人々とも出会いました。または、世界的に有名な”マスター”の門下生であることを誇らしげに語る人もいました。
一体誰が、どのような基準で”マスター”を決めるのだろう。どの段階に達したら、どんなスキルを身に着けたら、はたまた弟子が何人できたら、”マスター”になれるのだろう。この人達は、一体何をもって、自らの立場を人よりも上に位置付けているのだろうか。見ていて私は疑問に思うようになりました。
実のところ、そんな明確な基準はまったくどこにもないのでした。ただ、その人が自分が”マスター”だと言いさえすればいいのです。資格もスキルも根拠も関係ありません。とても曖昧な、個人的認識に基づいた称号でしかないのです。
更にいえば、自分が師であるとか達人であるとかマスターであるということを自ら積極的にアピールしている人ほど、自己顕示欲と虚栄心に基づいて自我のキャラクターを作り上げていることに気づきました。そして、”弟子”の数と知名度に固執し、金銭的な豊かさや、いかに本が売れているか、どんな有名人を教えているかといった表面的な状況を「成功」と称し、そこを強調します。その講師の表面的な華やかさと、自信を得た人特有のカリスマエネルギーによって、更なる人々が虚栄心を刺激されて吸い寄せられていき、ノウハウを教えてほしい、私も「成功」して華やかな人生を送りたいと、派閥がどんどん膨らんでいきます。実際には、それらのノウハウも、人々の自立心を奪い、講師を頂点としたヒエラルキーを盤石化するために巧妙に編み出されたツールだったりもします。中には、完全に共依存の関係に陥って、心理的にも金銭的にも持ちつ持たれつの呪縛にはまり込んでいる人々もいました(過去形で書いていますが、こうしたシチュエーションはそこかしこで今現在も起こっていると思います。あまりにも分かりやす過ぎるほどシステム化されていたり、価格設定が法外だったり、ホームページやSNSなどの宣伝媒体でのアピールに全く隙が無く、やたら数字的な評価を強調してくる団体⦅個人の講師でも⦆、などは要注意です)。
ある時から、私はこんなくだらないパワーゲームから距離を置こうと決めました。自分が目指しているのは、虚栄心に心を奪われた人たちが目指す「成功」ではないのだということに気づいたからです。そもそも、表面的な意味での成功とか失敗なんて、人生の本質には何ら関係がないと思います。物理的な世界で見えている部分に必要以上に惑わされ、心を奪われてしまったら、視界が曇り、魂が本来目指すべき道が見えにくくなってしまいます。
余計な道草を食って時間を無駄にしたくないですし、エゴがエゴに訴えるだまし合いには全く魅力を感じません。教える側も、教えられる側も、エゴが刺激されてエゴが肥大化していくだけです。
スピリチュアルに目覚めた人は、行く手のあちこちに巧妙な罠が潜んでいることを、心して進んでいった方がいいと思います。