幸せを追いかけて

 世の中で「セレブ」「セレブリティ」と言われている方達をみていると、世間から一般的に抱かれている「幸せそう」「豊かそう」「満たされていそう」といったイメージと、その方達の実際の心の状態が必ずしも一致していないことの方が多いような気がします。セレブと聞いて、まっさきに頭に浮かんだ人物を試しに考えてみてください。その人は、本当に「幸せ」なのでしょうか?

 セレブリティと言われるような生活を送っている人達に憧れる気持ちがあるとすれば、それはその人達が送っているきらびやかな生活や金銭的な豊かさ、世間からの注目度、地位、といった物質的な豪華さに心惹かれるのでしょうか。

 私は、その人の置かれている状況よりも、心の状態の方が気になりますので、よくマスコミに登場するセレブリティと言われる派手な生活を送っている方々を見ていると、羨ましいとか、あのようになりたいなと思うことはあまりありません。どちらかというと、心が満たされていなそうだなと感じることの方が多いからです。もちろん中には、莫大な富を手に入れながら心も十分に満たされている人もいるのかもしれませんが、かなりの少数派なような気がします。本物の心の豊かさというのは、物質的な富や世間的地位に重きを置いている間は手に入れることができないものなので、そちらに心が奪われているという状態では、真の心の充足感というものは味わえないのではないかと思うのです。

 執着がなくなればなくなるほど心が平穏になっていくものなので、逆に言えば、本当の意味で心が平穏な人は、富や地位にこだわりがなく、必要以上に金品や資産をため込むことをしないようにみえます。現世的な執着から解放されている人ほど、富や地位を得たら、それを己の欲を満たすためだけに使うのではなく、自分が得た恩恵を必要としている人や場所に惜しげなく提供しているのを感じます。

 

 

 セレブの生活まではいかなくても、他人の状況を羨ましく思い、常に自分以外の誰かを指標にして、うわべの豊かさに執着していると、おそらく死ぬまで心が満たされることはないのだろうなと思います。それは、幸せの尺度を「形」に求めている状態です。頭の中に、『こうであったら幸せ』という条件をあれこれと作り、幻の理想郷を目標にして生きているのです。そして、自分が頭の中に作り上げた理想郷と現実を見比べて常に不満を感じ、思うようにいかないことに文句を言い、「ある」ことよりも「ない」ことにどんどんフォーカスしていきます。更に、子供がこういう学校に行ったら幸せ、家を手に入れたら幸せ、お給料がいくらになったら幸せ、etc...あれこれと考えた幸せの条件を次々に手に入れたとしても、心の充足感がさして変わらないことに気づき、愕然とします。あれを手に入れたら幸せになれると思っていたのに、いざ手に入れてみると、喜びで満たされていたのは束の間のことで、すぐにまた新たな目標ができてしまいます。常に、自分が持っていない何かを追い求める日々に戻ってしまうのです。

 幸せを「形」に求めているために、「今」に充足感を抱けない状態になっているのだろうと思います。幸せは、「今」ではないどこか別の場所にあると思っているのです。誰か別の人が手に入れているあの境地にいかなければ、手に入らないものだと思っているのです。幸せをわざわざ遠い場所に設定してしまっているのです。

 

 本物の幸せとは、形あるものを追い求めている間は手に入れることができないものなのではないかと思います。心の在り方が全てで、状況は関係ないのです。