長い間記憶から消えていて、これまで思い出すこともなかったのに、ここ最近になってなぜか脳裏によく浮かぶ出来事があります。
通っていた大学の就活課には、世話人をしている、Oさんという男性がいました。当時で、もうそろそろ引退してもおかしくないくらいの年齢だったように記憶しています。
Oさんは、学生の間ではちょっとした有名人でした。就職活動をしている先輩達が、
「Oさんに叱られちゃったよ~」とか、「Oさんにアドバイスもらったら、内定もらえるようになった」
といった感じで、Oさんのことを話すのをよく耳にしていました。
就職なんてまだまだ先、と思っていたのに、いつの間にか自分にもその時期がやってきました。それまで自分がどんな仕事をするかなんて真剣に考えてこなかった私は、まあなるようになるだろうと、大した準備もせず、随分とのんびり構えていました。やる気も情熱もさしてありませんでした。それでも、周りの友人達が動き始めたのに触発される形で、しぶしぶ思い腰を上げ、なんとなくリクルートスーツを買って、なんとなくそれっぽい恰好をし、なんとなく興味がある分野の会社を取りあえず受けることにしました。
そんな調子で、はなから熱意もビジョンもないままに始めた就職活動は、当然うまくいかず、面接を受けども受けども次の面接の返事がもらえません。同じ時期に活動を始めた友人達が次々内定をもらう頃になって、さすがにこの状況はまずいかもしれないと思い始めた私は、何がいけないんだろう、自分の何が間違っているんだろう、と自問してみました。内定をいくつももらっているような達人に話を聞いて、その人のまねをしてみたり、全然興味がない分野の会社も受けてみました。けれど、ちぐはぐな自分を演じれば演じるほど、空回りをし、余計に良い結果から遠ざかっていくような気がしました。私は、自分が出口のない迷宮にハマりこんでしまったような焦りと混乱の中にいました。
そんな精神的に行き詰った日々を過ごしていた頃、ある日大学に行くと、たまたま前を通りかかった就活課に、Oさんが一人でいらっしゃるのが見えました。いつもは学生で賑わっている就活課が、その時は誰もおらず、Oさんの手も空いているようでした。私は、それまで『自分の力で内定を取る!Oさんには頼らないぞ』と妙な強がりがあって、就活課に足を踏み入れることもしなかったのですが、その時はなんとなく吸い寄せられるようにして、部屋の中に入っていきました。
部屋に入り、Oさんと目が合うと、私の口から
「あの~、就職活動をしているんですけど、まだ内定がもらえなくて・・・」
という言葉が出ました。
「どういう分野に興味があるんですか?」
「今絞っているのは、不動産業界です」
するとOさんは私のことをジッと見てから、こう言いました。
「あなた、おっきい会社ばかり受けてるんじゃないの?」
「・・・あー、そうですね。そういう会社がほとんどです」
「それはやめなさい。あなたみたいな人はね、中くらいの会社がいいの。中堅どころを受けなさい」
Oさんはそのようにハッキリと言いました。あなたみたいな人・・?今日初めて会ったのに、私の何がわかるというんだろう?その時はとても不思議に思いました。
けれどそんな私にお構いなく、Oさんはさっさと会社のリーフレットが並んでいる棚の所に歩いて行きました。そこから、迷うことなく、ある会社のリーフレットを一枚取り出すと、
「あなた、こういう会社を受けてみなさい」
と言いました。それは、私が見たことも聞いたこともない会社でした。都内の、ある分野に特化した、中堅クラスの不動産会社でした。
「いいですか、今日この会社に連絡をして、面接の予約を取りなさい。わかりましたね」。
Oさんの、なぜだかわからないけれど妙に力のある言葉に押される形で、私はその日のうちにその会社に連絡をとり、面接を受けることになりました。そして、面接はとんとん拍子で進み、それまで何をやってもうまくいかなかったことが嘘のように、あっさりと内定をもらったのでした。
ずっとそのことを忘れていたのに、最近なぜだかあの出来事をよく思い出します。最近、プロフェッショナルな仕事をする人というのは、「知識、経験、直観」という3つのスキルを併せ持っているものだなあ、と気づいたことがあり、そんなことを思っている時にふと、Oさんの姿が浮かんできたのです。今考えれば、Oさんはまさに、「知識、経験、直観」を使ってお仕事をされていたと思います。長年多くの学生を見てきて、一目見ただけで、その人にマッチする会社がパッと閃く勘が養われていったのだろうと思います。更に、閃きに必要な情報や知識も持ち合わせていました。
ちなみに後日、内定が決まったことを報告がてら、Oさんにお礼を言いに行くと、Oさんはあっさり、
「ああ、そうですか。それはおめでとうございます」
とだけおっしゃって、それ以上のことは特に何も言いませんでした。いつも淡々と、お仕事をされていました。
Oさんは、かつては私の中で「就職先を紹介してくれた就活課の人」でしかありませんでしたが、今となってみると、その仕事ぶりに何か強烈なメッセージを感じるのです。