共感が心を開く

 パワーオブフラワーの創設者であるイーシャ・ラーナーさんは、3人の娘さんをお育てになった経験から、ワークショップで思春期の子供のことを、次のようにお話されていました。

 

『思春期の子供というのは、親から離れたいという気持ちが強くなります。けれど一方で、実は親をとても必要としているのです』

 

 少し前に、小6の娘の家での様子がいつもと違うなと感じた時、真っ先にこの言葉が浮かびました。

 

 弟や私に対する態度がとげとげしかったり、必要以上にイライラしている時は、大体学校で何かあった時です。けれど、いくら「何かあったの?」と聞いても「何もない!」の一点張り、しまいには部屋に閉じこもって電気も消し、布団を頭からかぶって丸まってしまいました。夫がいくら話しかけても無言。「俺にはムリ」と下に降りてきたところでバトンタッチ。初めは私にも無言を貫いていましたが、「じゃあ、もう行くね。話したくないんだよね」と言って出て行こうとすると、布団の下から「そんなこと言ってない!」・・・

 これがイーシャさんの言っていた、”遠ざけたいんだけど、必要としている”状況かあ、と1人納得してしまいました。

 

 私は、自分自身が娘くらいの年齢だった時のことを思い出しました。あの頃は、上から目線で命令してくるような大人が大嫌いでした。こちらがまだ半人前だと思って、自分の価値観を当然のように押し付けてくるような大人です。子供でも、純粋に助けたいという気持ちで言っているのか、それとも己のエゴを満足させるために発言しているのか、そんなことくらい感じ取っていました。

 

 私は、布団の中の娘に向かって、こう言ってみました。

 

「お母さんも、○○くらいの頃、お友達関係でいろんなことがあったよ。いろんな問題があった。いろんな子がいたし・・。しかもお母さんは、その時の担任の先生が鬼みたいな人だったから、本当につらかった。誰にも助けてもらえなかったんだよ。でも、なんとか乗り越えられた。だから、経験者として、もしかしたら○○にアドバイスできることがあるかもしれない。こうしなさいとか、偉そうに命令するつもりなんか全然ないよ。ただ本当に、助けてあげたいと思っているだけ。お母さんだって、長く生きている分、いろんなことがあったんだからね」

 

 そのように話したら、布団の中の雰囲気がスーッと変わるのを感じました。しばらくの沈黙の後、

 

「・・・わかった。お風呂に入ってから話す」

 

 そう言って、いきなり娘は布団から出、さっさとお風呂に入り、スッキリと浄化された様子で顔つきも変わって出てきました。そして部屋に戻ると、先ほどとは打って変わった素直な態度で、学校でのお友達問題について話し始めたのです。

 

 

 人が心を開くきっかけというのは、相手も自分と同じ苦しみを知っている、つまり共感できる部分があることを知った時なのかもしれません。自分を苦しみから救ってくれるのは、自分の苦しみを理解してくれる人。本能的に、そう感じるものなのかもしれません。

 子供だったらなおさら、親が自分のことをわかってくれないと踏んだら、貝のように口を閉ざしてしまうでしょう。それに、親として偉そうに命令されたらたまったものではありません。

 

 

 私が思春期真っ只中の時、周りには相談できるような大人がいませんでした。今思えば、あれこれと悩んでいる時に、私が求めていたのは、「こうすればいいんじゃない」といった解決策ではなくて、「そうか、それは嫌だよね」とか「それは苦しいね」といった、共感だったように思います。そもそも、どうすればいいのかなんて、自分でもわかっていました。それができないから悩んでいたのです。答えではなくて、共感。答えなんか、もともとないのかもしれません。