『引き寄せの法則』がじわじわとブームになり、それにまつわる様々な書籍や記事が目につくようになった辺りから、私自身も「意図をもって人生を創造していく」ということを意識するようになりました。
実際、波長の法則は物理の原則として間違いなくこの宇宙で機能しているものですし、人間もエネルギーでできている存在であることを考えれば、当然そこから出される波長に合わせたものがやってくる、という説明は理屈でも納得できます。
個人的に『引き寄せの法則』を探求していく過程で、私はある一つの疑問を抱くようになりました。それは、
「引き寄せの法則を用いれば、あらゆることが可能なんだろうか」
という疑問です。原理原則にのっとれば、意図がクリアーであればあるほど、実現の可能性が高まり、望みも叶いやすくなります。とすれば、私達が意図したことはたとえどんな内容であれ、制限なく引き寄せることができるのでしょうか。この世に実現不可能なことはないのでしょうか。
なんとなくそのような疑問が湧き出てきた頃、私は”ニーバーの祈り”という名称で知られる、ある祈りの言葉に出会いました。いくつかバージョンがあるようですが、一番シンプルなものがこちらです↓
God, grant me the serenity to accept the things I cannot change,
Courage to change the things I can,
And wisdom to know the difference.
神様、私に、変えることのできない物事を受け入れる冷静さと、
変えることのできる物事を変える勇気、
そして、その二つを見分ける賢さをお授けください
これを目にした時、私は雲がサーっと引いていくように、心のモヤが消えていくのを感じました。心の奥に、ストンと落ちる言葉でした。
望む人生を創造していく自由はどんな人にも与えられている権利だとは思います。けれど中には、どれほど強く願ったことでも、望んでいた形で応えが返ってこないこともあります。私達の個人的な力の及ばない、人知を超えた”力”が、存在していると思うのです。
そういった大きな”力”(神、創造主、宇宙、ワンネス、大いなるすべて、など様々な呼び方がありますが)が働いて、望んだ通りに物事が運ばなかった時、私は、この祈りの言葉を思い出し、その”力”に委ねることにしています。そして、私が自分の手で変えることが許された範囲で、物事をポジティブに変えていく努力をします。
そんな風にとらえるようになってからは、あまり『引き寄せの法則』にがんじがらめに縛られることもなくなり、なんだか楽になりました。この世には、どうしようもないこともあるんだ、と素直に認めたことで、柔軟さが生まれ、かえって物事がスムーズに進むことさえあります。それは諦めとも違うような気がします。
何か挑戦していることがあったり、夢がある時、自分ができる範囲でできるだけのことをやったら、あとは神様に「委ねる」。結果や具体的なフィードバックに頓着しない。それで、思った形と違う結果がもたらされたとしても、それがきっと私にとってベストな応えなのでしょうから、素直に受け入れます。
自然災害や、人間の生死に関わること、世界で起こっていることなども、人知を超えた力が働いている部分も大きいので、自分でなんとかコントロールしようとしても、虚しさや無力さを感じるだけでしょう。起こってしまったことは、否定せずに受け入れて、自分ができることをやる。あとのことは、やはり「委ねる」。
自分の力の及ばない範囲で動いている、大きな力に身を任せていれば、自然により良い方向に運ばれていくものだと思っています。