自己価値。自己受容。自己愛。自分を”唯一無二の価値ある存在”と感じられるか。私という存在を、責めも否定もすることなく、愛をもって受け入れられているか。
望む人生をポジティブに生きられるかどうかというのは、「自分」という存在をポジティブにとらえられているかどうかが鍵となります。それも、表向きではなく、心の底から。
自己愛を巡る問題を抱えている方が、本当に多いと感じます。かくいう私も、ずっとそうでした(今でも完全に自己価値の問題を克服したとは言えないと思いますが、それでも昔に比べればかなり、かなりポジティブになりました)。長い間、自分という存在を「愛しています」だなんて、おこがましいというか、自惚れた自意識過剰の人が考えることだとさえ思っていました。日本人特有の奥ゆかしさとか謙譲の心というものを、自己否定と結び付けてしまっていたのです。
確かに、肥大化した自意識は不幸を呼びます。けれど、自分を「他者より優れている、特別な存在だ」と思うエゴ的な考え方と、自分を受け入れるということは別なんだな、ということがだんだんわかってきました。それから、他人を幸せにしたい、社会ために自分を役立てたいと思ったら、まずは自分自身を癒し、受け入れ、認めることが先だということも。
自己価値の問題は、生育環境がとても大きく絡んでいます。過去(特に幼少期)に経験した数々の傷つき体験や挫折、失敗、拒絶、否定、こうしたものが未だに私達の深層部分に傷となって残っていると、自己価値を高めよう高めようと思っていても、なかなか次へ進むことができません。フラワーエッセンスの学びの過程で、クライアントさんに一番最初にするべきこととして習ったのは、「まずトゲを抜くこと」。心の傷を癒すことが何よりも優先されるべきだと教わりました。引き寄せだとか、望む人生を創造するだとか、知識やテクニックをどれだけ知っていても、トゲが刺さったままでは中途半端な結果にしかなりません。心の傷が引き金となって、ネガティブな思考や感情が出続け、現実創造の妨げとなるからです。
先日モーツァルトの話を書きましたが、精神的に支配的な傾向のある親の元で、価値観を強要させられるような幼少期を過ごした方は、往々にして自己否定感が強かったり、自分の持つ個性を価値あるものと認めることが難しく感じるようです。自分という存在を、親の考える”枠”の中に収めようとして、個性を押し殺してきた時期が長かったのでしょう。
あれほど才能に恵まれていたモーツァルトですが、彼の曲が本当に賞賛され、価値ある扱いを受けるようになったのは、死後のことです。生前は、健康問題や金銭問題などを抱え、自分の曲も思ったように受け入れられずに歯がゆい思いをしたことも多かったようです。
自己価値の問題は、そのまま社会との関係に直結していきます。社会的な成功、仕事、経済状況、他者との関係性。自分の内面に抱える問題がそのまま現象として表面化していきますので、心に数多くの問題を抱え、自己価値が低い状態だと、社会に出て行った時、様々なトラブルや障害という形として、目の前に立ちふさがってきます。
自分がもし、様々な条件付けを強く受けて育ったと感じる方は、まずは自分を縛る制限された考え方から、自分を解放してあげてください。いつまでも、遠い過去に誰かから植え付けられた価値観に引きずられる必要はありません。その時のその人にとっては、それが正解だったのでしょう。そして、その時のあなたがその考え方を受け入れたことも、やはり正解だったのです。だから自分を責めないでください。自分の安全を守るため、それがその時にできうる限りのベストな選択だったわけですから。
過去の自分、ずっと引きずってきた制限、こうしたものから自由になっていく過程で、現実も変化していく喜びを味わってください。現実というものは、思っている以上に柔軟で、変幻自在で、制限がないものです。固定化してしまっているように見えているのは、現実が変わるわけないと思い込んでいるその人の心がそう見せているだけであって、実際はどんな形にでも変わりうるものなのです。