案外困ったことは起こっていない

 以前、娘が友達関係のお悩みを抱えていたことがありました。あるお友達(Aちゃんとします)が、いろいろな人の悪口をあちこちに言いふらしているとのことでした。

 

「みんな、Aちゃんが人の悪口を言うのを聞くのも嫌だし、何て反応したらいいか困っちゃうし、自分も悪口を言われているんじゃないかって気になっちゃう」

 

のだそうです。Aちゃんに「悪口を言うのをやめてほしい」と言いたいところなのだけれど、もしそんなことを言って逆切れされていじめられたらもっと嫌だから言えない。先生に言ったとして、もし先生に言ったことがAちゃんにバレて逆上されたらと思うとそれも怖い。結局、誰もAちゃんにやめてほしいとは言えないままなのだそうです。

 

 「まったく、どうしたらいいんだろうねってお友達と話してるんだよね・・」とため息をつく娘に、私は、

 

「それで、Aちゃんがいろいろな人の悪口を言っているっていうことで、○○(娘の名前)は何か困ることがあるの?」

 

と聞きました。娘は、

 

「え、あるよ!だって、もしかしたら陰で私の悪口言ってるかもしれないじゃん。他の子も、もしかしたら自分の悪口言われてるかもしれないって気にしちゃってるんだよ」

 

「それじゃ、Aちゃんの話って、他の人はどう思って聞いてるの?」

 

「・・・ああ、また言ってるねって感じで聞いてる」

 

「ってことは、Aちゃんの言っていることを周りの人は真に受けていないんだね」

 

「うん」

 

「だったら、たとえAちゃんが○○の悪口を陰で言っていたとしても、それを聞いた他の人は、その話を聞き流すだけなんじゃない?」

 

「・・・」

 

「結局、他の人のあることないことをたくさんしゃべっちゃっているAちゃんは、もう信頼を失っているから、自分が話すことを信じてもらえていないんだよね」

 

「うん、信頼されてない」

 

「それなら、Aちゃんが何を言っていようが、誰も取り合わないわけだし、気にしなくてもいいんじゃない?むしろ、Aちゃんが人の悪口を言えば言うほど、ますます人から信頼されなくなって、困るのはAちゃん自身なんじゃない?他の人が困ることって、特にないんじゃないの?」

 

「・・・確かに、考えてみたら、この件に関して私が困ることってないかもしれない」

 

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 娘は、そもそも「人の悪口をいつも言いふらしている」というAちゃんの行為が許せないようでした。道徳的ではない行為だし、嫌な思いをしている人がたくさんいるので、なんとかAちゃんにやめてもらいたい、という気持ちが強いようでした。

 

 けれど、実際には、Aちゃんの行為によって何か問題が起こっているかというと、実は「困ったこと」は大してないということに気づいたようでした。Aちゃんの行為の結果を受け取るのは、Aちゃん自身です。他の人は被害を被っているかのように見えても、実はさしたる被害は生じていないのでした。なぜなら、皆Aちゃんはそういう人なんだとわかり始めて、Aちゃんの発言を信じなくなっていたからです。言葉に影響力がないので、何事も起こらないのです。真理が含まれない言葉には、エネルギーがありません。

 

 娘が嫌な思いをしていたのは、「悪口を言うなんて許せない」という自分の「信念」があるからであって、実害からきているわけではありません。実害がないのであれば、ただ流せばいいだけです。けれど、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」という、自分の思いが邪魔をして、なかなかAちゃんのことを受け入れられなかったのです。受け入れられずにいるから、モヤモヤが生じているのでした。

 

 

 

 物事はこうあるべきだ、人はこうあるべきだ、といった「~べき」という思いは、そのほとんどがエゴからきています。その思いが強ければ強いほど、「~べき」という状況とは異なる状況に直面した時、「許せない」「信じられない」「なんとかしてほしい(変わってほしい)」という思いが強くなります。けれど、特に相手が人である場合、その人を変えることができるのはその人自身でしかなく、他人にその人を変えることはできません。周りがいくら奮闘しても、わからせようとしても、本人に変わる意思がなければ、絶対に変わることがないのです。そうなると、何も変わらないその人を見て、周りは更に怒りを募らせることになります。

 

 もちろん、その人に対して、関わりがある自分ができることも多少はあるかもしれません。もしその人が求めているとすれば、アドバイスをしたり、助け船を出すこともできます。けれど、自分ができることをできる範囲でやったのに、それでもその人が変わらないとすれば、もうその問題は自分の領域を超えているということです。

 

 自分の領域を超えていることであれば、あとはただ、手放すしかありません。「こうあるべきだ」という思いと、物事を思い通りにしようとする思いと、他人を変えたいという思いを、手放せば良いのです。自分の力の及ばない範囲で物事が解決していくことを理解し、その力に委ねてみるのです。

 

 この世の秩序と、他者の学びを尊重し、自分の思いを手放せば、すべてがあるがままでOKなのだということが、自然に受け入れられるようになっていきます。