恐れからの解放~その③

 毎日せっせと心のお掃除に取り組んでいた私ですが、ある時、心の浄化が進んでいくにつれ、身の回りの環境や人間関係などもどんどん変化していっていることに気づきました。内面が整っていくと、目の前に広がる現実も同様に整理されていくようでした。お互いの学びが終わり、もうあまり生産的なお付き合いができなくなった人とは、自然に離れていきました。また逆に、自分に新しい刺激をくれ、必要な学びを得られる人との出会いが舞い込んできました。人に限らず、情報やチャンスなども、必要な時に、必要な分だけ、やってくるようになりました。

 

 何か一つ心の変化が起こると、それからしばらくして、その心の状態を反映したかのような現象が起こるのです。どちらかというと、心の浄化に意識的に取り組み始めた最初の頃は、現実の中でも「捨てる」「別れる」といった、手放し系の出来事が立て続けに起こりました。私のエネルギースペースがクリアーになったことで、私を取り巻く現象世界も自然とクリアーになっていったようでした。人生が、生活が、人間関係が次々清算され、今まで”背負って”いた物事から物理的にも解放されていきました(これは現在進行中のことでもあります)。楽しくて喜ばしい出来事ばかりとは限りませんでしたが、結果的に見てみると、起こったことは全て、私にとってポジティブな結果に結びつくものでした。

 

 現実世界でもとらわれがなくなっていったことは思わぬ副産物でしたが、本当に楽なのは、心のとらわれから解放されることです。何より私の中から「恐れ」がなくなっていったことで、本当に生きやすくなりました。まだ全く恐れがないわけではありませんが、少なくとも、「恐れを恐れる」ことがなくなったので、何か不安材料が出てきたとしても、もうかつての私のように、必要以上に動揺したり、受け入れられずに拒絶したり、ということはありません。恐れとは、向き合った瞬間に恐れではなくなるということを、何度も経験したからです。ただ、向き合えばいいのです。そして受け入れ、解放すればもう私を苦しめることはなくなります。そのことを知っているので、もう今までのように、「~したらどうしよう」と起こってもいない未来のことを心配することもなくなりましたし、周囲の人々が言っていることにも一喜一憂することなく、泰然自若に構えていられるようになりました。他人の恐れに影響を受けることもなくなってきたからです。結局恐れる必要のあることは何もないので、恐れていること自体が無価値なものに感じるのです。

 

 

 心の整理が進んでいくにつれ、今まで「私」だと思い込んでいた数々の思い込みや価値観、生き方、経験、姿かたち、人間関係といったものは皆、本当の「私」ではなかったのだな、と感覚的に思えるようになりました。世の中の肉体を纏って顕現している人々の姿がその人の全て、とも思わなくなりました。とはいえ、肉体としてこの世に存在している物理的な「私」も、紛れもなく「私」の一部ではあります。霊的な世界を重んじるあまり、肉体としての自分を卑下したり、扱いをおろそかにするのも何か違うな、と思います。霊的な世界と、物理的なこの世に片足ずつ突っ込んでいる状態、そんなイメージでいます。

 肉体をクリアーにすれば霊体もある程度はきれいになりますが、どちらかというと、霊体の方を先にクリアーにした方が、結果的に肉体もきれいになっていくようです。