恐れからの解放~その②

 意識の覚醒が始まってくると、人は否が応でもこの恐れに向き合わざるを得なくなるようです。それは、

 

「自分の心の中を知る恐れ」。

 

それまで、臭いものに蓋をするように、見ないようにしてきた心の中身。そこに本当は何があって、何が主張していて、何が出て行きたがっているのか。

 

自分の内面に潜むトラウマや古い傷、エゴ、恐れ、執着、こういったものに面と向き合って取り組もうという意識に至るだけでも、相当な時間と勇気とエネルギーが必要になります(一度決心してしまえば、あとは自然な流れで浄化が進んでいきます)。

 

大多数の人は、自分の内面に真摯に向き合う前に、身に起こっていることを他人や環境のせいにしたり、「これが運命だから」となどと言って諦めたり、はなから変わることは無理だと信じていたりします。そうして、思考や感情に支配された状態で、納得がいかないまま、自分の心の状態がそのまま反映された現実に住み続けることになります。人生とはそういうものだと自分を無理やり納得させて、思考と感情に自分を同化させた人生をこれからも送り続けるか。それとも、思考と感情にとらわれる生き方から脱皮して真の自由と喜びを感じながら生きるか。

 

 

 私は、とらわれのない真の自由を手に入れるには、心を浄化する必要がある、ということには気づいていました。それで、いろいろな本を読んだり、瞑想をしたり、ヒーリングを受けたり、エッセンスを飲んだり、とにかくあれこれと試してみました。こうした行動は、だいぶ私をエネルギー的にクリアーにしてくれたと思います。けれど、それでもまだ私は逃げていました。自分の心に真正面から向き合う決心がつくまで、外側のツールに頼っていたのです。自分以外の誰か、自分以外の何かが、自分を浄化してくれると思い込んでいました。もちろん、ある程度まではしてくれました。でも、本当に本当に自分がクリアーになって、とらわれから自由になるには、自分が一番知りたくない自分の姿、心の中身を、私自身がまずきちんと知る必要があったのです。結局他人や何かのツールに頼ったとしても、それらは自分の中身を見るためのお手伝いをしてくれるに過ぎず、そこからもう一歩踏み出して、本当の自分を知り、解放していく作業は、自分がやるしかないのです。

 

 自分の内面に向き合うことをずっと避けてきたからこそ、ヒーリングツールや、スピリチュアルな指導者などに頼って、それらが何とかしてくれるだろう、私を救ってくれるだろうと考えていたのです。

 

 精神的なグルを追い求めてあちこちのセミナーを転々としたり、物理的なツールに必要以上に頼ったり、師と仰ぐ人がいないと不安になってしまう人は、まだ自分の力を信じられていないか、恐れを手放せていないのかもしれません。もちろん、ツールや指導者は心強いですし、助けとなってくれることもたくさんあります。けれど、それらがメインではありませんし、必要以上に頼りすぎてしまうと、依存や執着を生み出すことにもなります。結局、自分以外の何かに拠り所を置いているうちは、魂の成長はある程度のところでストップしたままだと思います。誰もが、自分と宇宙(神)との絆を直接感じることができる能力を授かっているのですが、他者に依存していては、その感覚がいつまでも鈍ったままです。

 

 

 ちなみに、あれほど長い間怖くて避けていた(自分が怖がっているということにさえ気づかせなかった)、「自分に向き合う」という作業ですが、勇気を出してやってみると、意外と怖いものではなかったことをぜひともお伝えしておきます。それはまったく、拍子抜けしてしまうほどです。実際にやってみると、まったく怖くなどありませんでした。結局、恐れとは未知なるものに対面した時生じる感情なのだと思います。心の中身が未知なるものであるという思い込みを外して、思い切って向き合ってみようと決心してみた瞬間、それは未知なるものではなくなりました。そして、自然と恐れも消えていきました。

 

 私の場合、一つ一つ、目の前にある「問題」と向き合う形で、自分の中にある思い込みやトラウマなどを見つめ、解放していきました。例えば、誰か強烈な個性を持つ人が目の前に現れて、その人との関係性に悩んでいたとしたら、その人のことを避けたり責めたり攻撃的になったりするのではなく、

 

「私の中の何がこの人を引き寄せたのだろう」

「私はこの人との関係性から、何を学ぶことができるのだろう」

「この人は、鏡となって、私に何を見せてくれているのだろう」

「私は、自分の中の何を解放させたら良いのだろう」

 

と自問していきました。真摯な気持ちで、落ち着いた状態で問いかけてみると、何か深いところから応え(気づき)がやってきます。そして、その応えを受け入れ、愛と共に浄化し、解放していきました。

 

また、子供や友人や外で見かけた誰かの言動に対して、感情が大きく動いたときにも、同じように、

 

「私の中の何がこの感情を引き起こしているのだろう」

「私の中のどんな思いが反応しているのだろう」

「この人の言動は、私の何を鏡として見せてくれているのだろう」

 

といった問いかけをしていきました。

 

 本当に地道な作業ですが、一つ一つ、何か”問題”が生じる度に、真摯に向き合いました。そして、どんどん解放していきました。

 

 

そして、どんどんどんどん心が楽に、軽くなっていきました。