前世考

 物心ついた頃から、今の肉体は仮住まいであるという感覚がありました。今回の生が終わったとしても、魂が消滅するわけではない。と同時に、今回の生以前にも、私は過去に別の人間として別の場所で生きていたことがある。そういったことも感じていました。

 

 大人になって、スピリチュアルな世界への探求が進んでくると、その感覚は尚更強いものとなっていきました。そういった方々に共通する感覚なのかもしれませんが、私も「前世」に強い関心があった時期があります。

 何となく、自分で「過去にこういう人生を生きていたことがある」といった感覚があったり、夢やビジョンで前世かなと思われる光景を見ることがあったりはしましたが、もっと詳しく、たくさん知りたいと思っていました。

 

 そんな風に思っていたある日、自称前世が見えるという方に、「あなたは過去に~という人生を送っていたことがありますね」と言われたことがありました。確かに言われてみれば自分でもそのような感じがしないでもないな、という内容でした。そしてまた別の日に、霊感があるという別の人からも同じようなことを言われたのです。

 

 その時私が感じたのは、「ふーん・・」という感覚でした。自分で思っていたより、トキメキも驚きもしませんでした。

 

 そもそも、その方々が言っていることが真実かどうかなんて確かめようがありませんし、極端な話、口から出まかせを言っている可能性だってあります。もしくは、確かにその人達の脳内ではそのようなビジョンが見えたのかもしれませんが、それだって、その人が自分の感覚の世界で作り上げ、映し出して見ているだけであって、真実かどうかなんて誰にもわかりません。

 私は別にその人達の言っていることを信じなかったわけではないのですが、その時に、「たとえその話が本当だとしても、それがなんなのだろう」と拍子抜けしてしまったのが事実です。実際、"So what?"だったのです。

 

 その時に言われた前世の生き方は、確かに今の人生とリンクしている部分がありました。おそらく私は、その時の人生でやり残したこと、後悔している部分、物足りなかったことなどを埋めるために、今世生きている面もあるのでしょう。それは何となくわかります。

 けれどそんなことを言ったら、その前の人生からも私はおそらくやり残したことを引き継いできているはずで、更にその前の人生からも、その前からも・・と数えきれない程の人生で得た経験と課題を背負ってきているわけです。連綿と積み重なってきた数々の人生における膨大な時間と学びと関係性が、複雑に絡み合って今の人生に事象として表れてきていると思います。前世1つをとって、更にその一場面だけを切り取ってみたとしても、今の人生の全体像が分かるほどの情報にはならないどころか、1つの側面に縛られて偏見と執着を生み出しかねません。

 私はこれまで、自分の前世が〇〇だった、と知名度の高い歴史上の人物の名前を挙げて自慢してくる方に何度かお会いしたことがありますが、そのようなことを口に出して言っている時点で虚栄心と驕りがある証拠だし、そもそも本当にエゴの影響下にない程進化した魂の持ち主であれば、自分の前世を含む過去に全く縛られていないでしょうから、過去世での自分の姿にも執着がないはずなのです。

 

 前世から引きずる課題が今世でも表面化し、今現在の悩みとして向き合うということはよくあることです。けれどそんな場合でも、焦点を当てるべきは「今」であると思います。過去の人生からどんなものを受け継いできたとしても、それら全てが集結しているのが今の姿です。今の自分は、過去の人生全ての総決算なわけです。過去世に縛られて今目の前に広がる現実を見ないようにしても、問題を先延ばしにするだけで、何の解決にもなりません。ましてや、前世として作り上げた姿(幻)に引っ張られ、本当の私は別のどこかにいるように思って今の自分から逃避していては、魂の成長は得られないままでしょう。

 現実に向き合う=己に向き合う、ということです。前世という言葉からも、なんだかロマンチックでワクワクするような響きが感じられますし、惹きつけられるのもわかります。かつての私もそうでした。けれど、だからこそ自分が今向き合うべき現実から遠ざける逃げの手段にもなり得ると思います。

 前世を否定するわけでも考えてはいけないと思っているわけでもありません。ただ、あまりそちらに引っ張られてしまうと、地に足が着かない考えになったり、今の自分や今の人生、現実生活のことが疎かになってしまう危うさも秘めているようにも思います。