エゴか、愛か

 世の中では様々な人々の栄枯盛衰が取り沙汰されていますが、見ていると宇宙の根本原理はどんな人に対しても例外なく働いているのだなあ、と思います。

 人が行動を起こす時、大元の動機が我欲(エゴ)からきているものなのか、そうではなく他者を喜ばせたいという奉仕の心からきているものなのかというところで、行きつく先の明暗が分かれているように感じます。

 

 個人的な欲求を満たすため、すごい人だと賞賛されたいため、贅を味わいたいため、人を羨ましがらせたいため、・・こうした自我の欲望に基づいて動いていると、途中で上手くいかなくなって計画が頓挫してしまったり、それなりの成果しか得られないまま終わったり、ある程度までは望み通りにいったとしても最後の最後で大きな痛手をくらうことになるなど、結局は心の底からの満足感が得られない結果に終わってしまうようです。

 反対に、無償の心で、周りの人々を喜ばせたい、誰かの役に立ちたい、困っている人を助けたいといった動機で動いていると、さして苦労もないまま導かれるように道が拓け、多方面からサポートがやってきたり、思いもよらぬところから金銭的な援助が舞い込んで来たりして、まるで自分が何かの力で動かされているような感覚を味わうことができます。

 

 それはやはり、この宇宙の本質は愛なので、その純粋な愛に近ければ近いほど、宇宙のパワーの恩恵をより多く享受することができるからだと思います。我欲は愛のエネルギーを濁すものなので、我欲が強い人はその分純粋な愛(宇宙)エネルギーを受け取ることができません。

 我欲まみれの人が一時的にこの世の春を享受しているからといって、その状態がそのまま続くとは限りません。天は、ある程度まで成功させて、一見うまくいったように思わせておいて突然ドーンと奈落の底に落とすようなこともするのです。そうすることがその人の目を覚まさせるために最も有効な時は、そのようになります。ですから、あの人はあんなに自我の欲望を満たしているのに何もかもうまくいっていて不公平だ、と思う必要はありません。結果として自分が蒔いた種はどこかで必ず刈り取ることになっているので、今は良くても、後になって我欲に基づいた数々の行為の結果を受け取るはずです。それは宇宙の法なので、例外はありません。宇宙は完璧に公平にできています。

 

 

 自分の中のエゴをどれだけ削って心をきれいにしていくか、難しいけれどそれが一番の幸福の道なのだなと思います。