夢や目標がなくても

 子どもの頃、よく「大きくなったら何になりたいの?」という質問をされていました。また、学校の文集などにも必ず「将来の夢」を書く欄がありました。そんな時、私はいつも戸惑っていました。なりたい職業など漠然としたものはありましたが、果たして自分が「何になりたいのか」と改めて聞かれると、一体自分は「何」になりたいのだろうか、とわからなくなってしまったのです。

 

 それは、今でも同じであるように思います。一体私は「何」になりたいのだろうか。「夢」はなんなのだろう。

 

 少し前までは、具体的なビジョンを持って、「それ」になることを目標にし、「そこ」に向かって一生懸命努力することが、私のなすべきことなのかと考えていました。具体的な仕事に就いて、具体的な売り上げや規模の拡大を目指して、より多くの人に認知されるような、影響力を高めていくことが人生の目的のように思っていました。

 元々目標を定めたら一直線に進む、がむしゃら気質なこともあって、一つ一つのことに最大限の力を注いで突き詰めていかなければ、やる意味がないとすら考えていました。

 

 けれど、次第にそんな風にして「何か」を目指してひたすら頑張るだけが、この世に生きる本当の目的なのだろうか、と疑問が湧いてくるようになってきました。そうした疑問は、振り返ってみれば子供時代からずっと抱き続けていました。けれど、周りに影響されたり、大人になるにつれ自分の中の虚栄心が育っていく過程で、いつの間にか「生きる」という本質を忘れかけていたのでした。

 このまま具体的な「何か」になることだけを目指して生きていっても、きっと自分は本当の意味で幸せになることができないだろうな。そんな思いが大きくなっていきました。

 

 学生時代ずっと仲良くしていた友人が、社会人になってしばらくしてから、大病を患って実家に帰ることになりました。彼女なりに精一杯病と闘って、驚くほどの生命力で、何年も頑張り通しました。どんな時でも弱音を吐かずに明るく振る舞っていた彼女が、一度だけ、私に「つらい」というメッセージを送ってきたことがありました。「私は何のために生きているんだと思う?教えて」と言われた時、私は何と答えたら良いのかわからなかったけれど、「私にとって、〇〇ちゃんが生きているだけで嬉しい。自分がこうなりたい、と考えていた人生と違う人生になったかもしれないけど、私はそのことで〇〇ちゃんが変わったとは思わないよ。〇〇ちゃんは自分のことをもっと愛してあげてほしい」と伝えました。

 本当のそのように思っていました。学生時代のはつらつとした姿、社会人になってバリバリ働く姿、病気になって休んでいる姿・・繰り返し受けた手術の影響もあって、見た目も変わったけれど、私の中では、彼女の本質の部分は何一つ変わっていませんでした。

 

 私は、その人がどのような生き方をしていようと、何をやっていようと、どんな姿形であろうと、その人の本質の部分はずっと同じだと思っています。

 

 世の中では、何か目に見える形で大きな仕事を成し遂げた人や、記録を達成した人、影響力を持つ人ばかりが賞賛され、そうではない人達がまるで負け組であるかのように捉えられている気がします。本人達もそのように考えているから、具体的に大きなことを成し遂げていない自分がまるで役立たずのように思えたり、「すごい人たち」に比べて大したことのない人間のように思えてしまうのです。実際には、「すごい人」も「大したことない人」もいないはずなのに。

 ただ「生きる」だけでいいのではないでしょうか。どんな風に生きるのか、それは個々人の完全な自由だし、縛られる必要もないし、誰にも責められることではありません。やりたいことがあったらやればいいし、やりたくないことはやらなければいいし(やってもいいけれど)、失敗してもいいし、目標を立てても立てなくてもいいし、仕事をしてもしなくてもいいし、勉強してもしなくてもいいし、大金を稼いでも稼がなくてもいいし、何でもいいんだと思います。

 

 自分が「何か」になろうとしている時は、つらかったです。なぜなら、その時はまだその「何か」になっていないわけで、今の自分は未完成でダメな状態だと思っていたからです。具体的な夢や目標を持つことは、ワクワクしたり、生きる気力や活力につながることではあるけれど、そこに縛られてしまうと、今の自分や、そうならなかった時の自分を好きになることが難しくなってしまいます。こうなりたいと思っていた自分になれなかったとしても、それはそれで全然問題なし、そんな自分も人生も全部アリです。

 

 何でも、必要以上に縛られると苦しめられることになるのだなあと思います。「夢」や「希望」といったポジティブな言葉でも、そうなることがあるのですから。たとえそれが良いことと思われていることでも、執着になってしまうと苦が生まれるのだと思います。