フラワーエッセンスは、人の霊的な浄化を助けてくれるツールの1つです。霊的な浄化を助けてくれるツールは他にもいろいろありますし、特にツールがなくても、様々な体験を通して気づきを得ていくタイプの方もいらっしゃることと思います。それぞれやり方は違うとしても、この世で肉体を持ちながら経験を通して学び、魂を磨いていくという根底の目標は、どの人生であっても同じなのかなと感じています。
霊的な浄化が進んでいくと、『とらわれ』がなくなっていきます。執着がどんどん剥がれていくのです。
『とらわれ』が減っていくと、今まで気になっていたことが気にならなくなり、現世的な欲にも引っ張られなくなるので、気持ちがなだらかになって、平穏な心の状態が味わえるようになります。周囲の状況や他人の言うことに振り回されなくなっていくので、どんな環境に身を置いていても、泰然自若に構えていられます。
心が苦しい時というのは、悪しき感情に支配されていたり、とめどなく続く思考の波に自分が持っていかれている場合が多いです。ネガティブな感情と思考にやられているのです。
ではそうした悪しき感情や思考はなぜやっていくるのかというと、今の自分と自分の置かれている状況を受け入れられていないからです。今自分の目の前に広がっている世界、目の前にいる人、鏡に映っている自分の姿、自分の過去、仕事、持ち物、人間関係、家族の状態、財産、etc...あらゆることにジャッジも批判もすることなく、ただあるがままを認めることができていたら、そもそも”悪しき”感情は生まれません。自分を無理やり納得させるための思考のおしゃべりも必要ありません。
ではどうやったら受け入れられるようになるのかというと、「受け入れられない」原因となっているものを手放せば、それはできるようになります。それが、霊的な浄化といっている部分です。
「こうあるべき」「こうでなければならない」と思い込んでいるから、そうでない現実を見た時に、それを受け入れられないのです。
そうした思い込みは、元々もっている魂のデータベースからきているものもありますが、生まれ育った家庭や教育の過程においても強化され、またマスコミなどの媒体から得た情報にも大きな影響を受け、自分の信念体系となってエネルギーフィールドにまとわりついています。
フラワーエッセンスなどの浄化ツールは、こうした信念体系にメスを入れてくれます。頑なに信じていた思い込みが、少しずつほぐれていくのです。ほぐれていくと、1つのあり方にとらわれなくなりますから、多種多様を認められるようになっていきます。そもそも「こうあるべき」ことなどなかったんだ、ということを本心から感じられるようになれば、感情や思考が必要以上に動くことがなくなりますので、感情や思考に自分を持っていかれることもなくなるでしょう。信じられないような振る舞いをする人をみても、予想していたことと全く違う出来事が起こっても、動じることなく、ただ受け入れることができるようになります。人を責めたり、自分を責めたり、過去を恨んだり、現実を嘆いたりすることがなくなります。(どれも、湧き起る感情は耐えがたいものです)
そして、自分の人生に対しても、「こうでなければならない」という思い込みが外れれば、大きな自由がもたらされるのではないでしょうか。何歳までに結婚して、子供は何人で、どのくらいの家に住んで、年収はこの辺まで上げて、子供を偏差値のできるだけ高い大学に入れて、体型はどのくらいをキープして、人生の勝ち組にいたい、孫の顔を見てから死にたい、etc...内面を見つめてみると、考えている以上に多くのとらわれを自分に課しているものです。もちろん、夢や希望を持つことは人生を充実させてくれます。けれどそれが本当に自分が望んでいることなのか、一度問い直してみると本質がみえてくるかもしれません。案外周囲の影響から「そうしなければいけない」と自己暗示にかかっていたり、親や誰か他の人を喜ばせるために、本心ではないのにそのような思いを抱き続けていたり。
または個人的な我欲を満たすためだったり、虚栄心から湧いてくる望みの場合もあります。そのようなものであれば、望みが叶ったとしても心が満たされることはなく、更なる願望が湧いてきて、それに向かって再び動くことになるだけでしょう。エゴからくる望みでは、人は決して満足できないようになっているのです。
魂レベルの望みは、勢いが違います。「しなければならない」ではなく、「こうしたい!」という心の底から湧きおこるパッションで行うことは、魂本来の目的に沿っているので、サポートもやってきますし、スムーズに事が進むことが多いです。
『とらわれ』というのは、実際にとらわれている間は自分で気づかないものです。フラワーエッセンスは、そうした「とらわれにとらわれている」状態からも、脱却をスムーズに進めてくれます。私自身、今まで何度もとらわれている自分に気づかされました。1つ1つ『とらわれ』が解放される度に、体が軽くなったような、心の清々しさを覚えます。
どんなお屋敷に住もうが、どんな名声を得ていようが、どんな姿形でいようが、心がとらわれていたら、人は決して本当の幸せを味わえないと思います。目に見えることよりも、心の中に、真の幸せの鍵はあるのだと思います。