今から何年も前のことですが、私は瞑想中、ある明確な思いが湧き起ってきました。自分が本当に自分らしく、制約を感じることなく望む人生を生きていくためには、過去、特に生い立ちの過程で刷り込まれていった価値観の縛りから自由になることが必要不可欠である、と。親元を離れてかなりの年月がたつというのに、いつまでも『親』という存在に引っ張られて、未だに親の顔色を窺うような振る舞いをしてしまう自分に気づいたのです。自分が喜ぶことよりも、親が喜ぶかどうかを先に気にしてしまう。親の反応を必要以上に意識してしまう。親の価値観の縛りから逃れられず、常に制限を感じながら過ごしている。そんな子供時代の感覚が、まだ自分の多くを占めていました。
そこから自由になり、自分の本心からの望みを優先させる生き方に切り替えていくには、一度親との関係性を見直す必要があることにも、気づいていました。けれど、その時の私には、まだまだ抵抗する意識が強く、「それはわかっているけど、親との関係を変えるなんてできない」と無理やり自分を納得させるしかありませんでした。本心では変わることを望んでいるのに、自我意識が邪魔をして、変わろうとする意識をなんとかへし折ろうとするのです。
私が本気で親との関係性を見直そうと決心したのは、ある方に言われた言葉がきっかけでした。その方は「本当は親との問題を避けて通れないのはわかるんですけど、まあ自分が我慢すればいいだけですからね・・」とつぶやく私に、
「今その課題を乗り越えなければ、ご自身と娘さんとの関係性に同じ問題を引きずることになりますよ」
と言いました。更に、私と娘が、制限を与え与えられる関係性になってしまった場合、その問題をまた次の子孫にまで残すことになる、と。
私には思い当たることがあったので、その言葉が大きく胸に響きました。そんなことは絶対に嫌だ。娘、そして子孫にまで残すなんてことは何としても避けたい。この問題は、私の代で終わらせてみせる。私の中で、熱い闘志のような思いが湧き起ってきました。
そこから、本当に辛くて嫌だったけれども、私は自分の過去と向き合い、親と向き合い、話し合ったり喧嘩をしたり距離を置いてみたり、いろんな本を読んだり人と話したり、様々なことをやってみました。エネルギーヒーリングやフラワーエッセンスの力、先人たちの智恵や教え、主人や子供、友人の支えなどの助けも借りながら、ようやく過去の呪縛から解放されたな、と感じられたのは、それから2~3年たってからのことでした。
今となっては、その時恐らく青天の霹靂のようなショックを与えてしまったであろう両親には、申し訳ない気持ちがあります。私は制限や押し付けと感じたことであっても、親としては、子供を思う愛情からしたことだったのでしょうから、今さら文句をいわれるなんて、心外だったろうと思います。それに、なんといっても私を赤ちゃんの頃から育て、守り、導いてくれたことも事実なのです。そこの部分には、本当に素直に感謝しかありません。
ただ、人の感情や考えに過敏に反応してしまう私のような子供にとっては、両親という存在は大きすぎて、ともすれば親の世界観の中に無理やり押し込められて、自由を奪われたように感じてしまうことも事実なのです。そういったことにできれば気づいてほしかったです。本当にやりたいことや言いたい事を我慢して、親に合わせた言動をとり続けてきたために、幼い頃の私はいつも窮屈さを感じていました。反論してもきいてもらえなければ、望みは諦めとなり、次第に意見を言うことさえなくなっていきます。
常に制限を感じながら過ごしていた子供時代の経験を次の代にまで持ち越さないために、私は自分の子供に対して、親である私が縛りとならないよう、気を付けています。ただ、あまりに自由を与えすぎるとわがままになったりだらしがなくなったりするし、さじ加減が難しいなと思います。
ちなみに、生い立ちに向き合い、親との関係性を見直し、自分の中でようやく『過去』からの呪縛から解放されたと感じたら、今度は次の課題がみえてきました。
『過去』は、今世に限ったことではなかったのです。なぜ私はこのような、制限を受けそこから自由になるという人生を選んだのか。妨害や制約があっても意思を貫き、本当の意味で自由を感じながら人生を生きることを目的として生まれてきたのには、生まれる前の遠い過去から引きずる魂の課題があったからなのです。
この課題に関しては、今現在も向き合っている最中ですので、詳細はまたいつか書きたいと思います。