とらわれがなくなれば悩みもなくなる

 今から数年程前、当時購読していた新聞に、興味深いお悩み相談コーナーが掲載されていました。確か、「贅沢な悩み相談室」といった感じのタイトルだったと思います。そこは、表題通り一般的には”贅沢な悩み”と思われている悩みを持った人が投稿してくるコーナーでした。例えば、『家がお金持ち過ぎて困っている』『背が高いことで悩んでいる』『美人であることがわずらわしい』『太れない体質を変えたい』etc...

 世間の多くの人にとっては羨ましいと思える状況であるにも関わらず、相談してくる方達は自慢とはとらえておらず、本気で悩み、状況を変えたいと切に願っているのでした。

 

 この記事を読んでいて、人の悩みというものは、状況は関係ないのだなと思ったものです。ある人にとっては夢や願望である状況でも、他の人にとっては煩わしい悩みであったりするのです。同じ状況でも人によって反応が異なるということは、価値観や思い入れが人それぞれ違うからそうなるのでしょう。

 

 30歳を過ぎた辺りから、独身の女友達が口々に結婚に対する焦りの気持ちを表すようになりました。「このままずっと独身だったらどうしよう」「親にうるさく言われる」「負け犬になりたくない」等々、不安や周囲の目を気にした発言をよく聞きました。その一方で、自分が独身であることを全くネガティブに捉えることなく、独身ほど自由で楽しいライフスタイルはない、とシングルライフを謳歌している女友達もいました。

 同じ「30歳を過ぎて独身である」という状況でも、人によってこうも反応が違うのは、その状況に様々な意味づけをしているからです。ある人は、「女性として恥ずかしい」「世間体が悪い」「不安定である」といった意味づけをし、そのように捉えている人は焦りや不安の気持ちを抱いているのでした。またある人は、「自由で楽しい」「仕事に集中できる」「自分の時間がたくさん持てる」といった意味づけをし、独身生活をエンジョイしているのでした。

 そうした意味づけを行う根底には、その人がそれまで得てきた経験や、育った環境で培われた価値観が大きく関わっているのだろうと思います。

 

 

 小学生の頃、テストを返される時には決まって、クラスのあちこちから喜びやら悲嘆やらの声が上がったものです。皆、点数を気にしてのことでした。そんな中で、いつも落ち着いて淡々と答案を受け取っていた男の子がいました。彼は、自分がどんな点数を取ったのか、全く気にしていない様子でした。戻ってきた答案をチラっとみるだけで何の反応もせず、すぐに机の中にしまって後はもう忘れているようでした。他の生徒から点数のこと(大抵は平均点よりも低い点数でした)をからかわれても動じることなく、いつもニコニコと受け流していました。むしろ、答案のことで大騒ぎしている周囲を不思議に感じているようでした。テストの点数が高いか低いかなど、彼にとってはどうでもいい問題だったのです。

 

 私は、その男の子のようになれたら楽だろうなと思いました。

 

 「テストの点数が低かった」という出来事が身に降りかかった時に、がっかりしたり恥ずかしいと思ったり『叱られたらどうしよう』と不安になることがある一方で(大方の反応はこうでしょう)、受け取る側の心持次第では、同じ状況で心の平穏を保つことだってできるのです。テストの点数という変則的な物理的現象にいちいち一喜一憂させられるよりも、どんな点数でも感情的に反応することなく、常に平常心でいられた方が、苦しまなくてすみます。

 

 

 あることが自分の身に起こった時、それに対して何かしらの感情的な反応をしているということは、自分のどこかに特定の思い入れや価値観が存在しているということです。出来事に対する自分の反応が、それらの存在を教えてくれるのです。出来事やシチュエーションは、いつだって100%ニュートラルです。ただ、あなたの中にある思い入れ(とらわれ)に気づいてくださいと、やってきているに過ぎません。それ自体が問題なのではないので、一生懸命出来事や状況を変えようと四苦八苦しても、空回りするだけでしょう。

 起きている状況にばかり目を向けるのではなく、そこに対する自分のあり方を見つめてみると、自分の中にある想念の存在に気づくことができます。そして想念があることに気づいたら、それがもう必要ないのであればどんどん手放していく。そうしていくうちに、自分の身に降りかかってくる出来事や状況も、次第に形を変えていくでしょう。気づきを与えるために降りかかる出来事がなくなっていき、今度は自分が心から望む人生を創造していく段階に入るのです。