今から遡ること2000年以上も前、古代エジプトの女王クレオパトラは、自国の窮地を救うため、時の権力者ユリウス・カエサル、そしてその失脚後はマルクス・アントニウスに取り入り、美貌と智略を用いて外交を操りました。クレオパトラは、当時としては大変高価であった香油をふんだんに使い、薔薇の花びらを浮かべたお風呂に浸かるのが習慣でした。薔薇やジャスミン、麝香(じゃこう)、といった催淫効果のある香りを特に好んだといいます。
中国唐代の王、玄宗皇帝の寵姫楊貴妃も、常に様々な香料を纏い、香りの丸薬のようなものを飲んで体臭として香らせていたそうです。類まれな美貌に加えて、体の内外から漂う芳香によって、彼女が歩くと誰もが振り向き、うっとり見とれて心を奪われました。
フランス革命で命を落とした波乱の王妃マリー・アントワネットは、薔薇やスミレといったフラワリーな香りを好み、そのあまりの香しさに、どこにいても彼女の所在が分かる程であったそうです。政情がきな臭くなってきた頃に起こった有名なヴァレンヌ逃亡事件で、王妃一家が隠れていた場所が特定されてしまったのは、皮肉にも王妃が欠かさずつけていた香水のせいであったという話さえあります。
嗅覚というのは、まだ未解明の部分も多い不思議な感覚で、視覚・聴覚・味覚・触覚などを含めた五感の中でも最も原始的な感覚といわれます。視覚・聴覚・味覚・触覚から得た情報が脳に伝わる際には、まず「大脳新皮質(理性を司る)」に信号がいき、その後「大脳辺縁系(本能を司る)」に伝わるというステップを踏みます。その点、嗅覚から得た情報(香りは電気信号として伝わります)は、ダイレクトに大脳辺縁系に伝わるので、何かの香りを嗅いだ時に得られる感覚は、非常にスピーディです。大脳辺縁系は、情動・欲望・記憶を司っているので、昔嗅いだこのとある臭いを嗅ぐと、瞬時にその時の記憶や感情が蘇ったりします。認知症の老人も嗅覚だけは衰えないので、近年アロマテラピーを用いた介護の効果も提唱されています。
また、嗅覚はそれ以外の感覚に比べ、感情に働く割合が最も多いと言われます。[感情:知覚]それぞれに働く割合は、視覚が[1:5]であるのに対し、嗅覚は[4:1]です。気持ちがふさいで落ち込んでいる時にアロマの精油を嗅ぐと、不思議と気分が晴れて前向きな気持ちになったりします。
クレオパトラや楊貴妃など、国を揺るがす程の魅力を携えていた美女たちは、見た目の美しさに加えて、このような香りのもたらす効果を上手く利用していたと思われます。視覚だけでなく嗅覚も刺激するので、それだけより強烈な印象を与えることができたのです。クレオパトラは更に、非常に美しい声の持ち主だったそうで、その声は「楽器を奏でるようであった」と称されました。数か国語を操り、ウィットに富んだ話術もまた魅力の一つであったようです。楊貴妃も、美しい容姿に加えて物腰が柔らかく、立ち居振る舞いが大変艶めかしかったそうです。また芸術的なセンスもあり、楽器や歌、踊りなどで皇帝を魅了しました。
このように、視覚的な美しさに加えて嗅覚・更に聴覚にまで訴えかけることの影響力の強さを知ってか知らずしてか(おそらく知っていたのでしょう)、傾国の美女達は自分を“魅せる”能力に長けていたといえます。
時代は変わっても、人間の体の作りはほとんど変わっていません。私たちの日常においても、人に自分を強く印象づけたいと望む場合は、見た目に気を遣うだけでなく、香りを身にまとってみたり、美声になるような発声方法を心がけたり、話術を磨く、優しい素材の服を身に付ける、美味しい料理を振る舞うなど、五感をフルに使ってアプローチしてみると、より効果的です。